保険屋に未来はあるか?

保険業界ってどうなるんでしょうか?そんなことについて自分勝手な考えを淡々と呟くブログです。

2020年を振り返って

そう大袈裟なものではないです。ただ、既に言い古された感はあるものの、昨年は世界が大きく変わった、ということで間違いないのではないでしょうか。

グローバル的なものの限界と、その妖しさ(いかがわしさ)、そんなものが意図せず晒された気がします。結局のところ、武漢発の疫病への対処は国家単位でしかありませんでした。さらに最も有効な対処方法は国家を閉じ、コミュニティさえも閉じることでした。そして、対策に苦労する自由民主主義国家と対比する中で権威主義国家の機動力に優位性を見出し、殊更賞揚するような一部メディアさえあったかのように記憶しています。

因みに「権威主義国家」という言い方もよく考えついたもので、その多くは「独裁国家」でしかありません。ではなぜ、メディアはそこまでして権威(独裁)を賞揚するのか?そこにメディアの本質があるように思えてなりません。彼等は強い者が好きなのです。逆説的ではありますが、メディアは彼等の拠り所である自由な言論を他に向かっては否定することで自らの権力=権威を維持しているのです。権威主義国家にシンパシーを感じるのも当然、同じ穴の狢なのですから。だからこそ、隣国によるチベットウイグル、直近においてはモンゴルに対する抑圧、人権侵害に対して非難することさえ忘れてしまうのです。

日本は自由民主主義国家のひとつとして、権威主義国家(独裁国家)に対峙して行かなければ、いずれ、その支配下に置かれることになるでしょう。いま、日本メディアがそうであるように。

つらつらとその様なことを考えていると、その行き着く先に、国家というものの在り方を考える必要性を感じざるを得ません。そろそろ、日本人も、長らく忘却して来た国家というものについて再考するときが来たのではないでしょうか。

「正道を踏み国を以て斃るるの精神なくば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受くるに至らん」南洲翁遺訓